月末日記 vol.2

2月は沈んでた。
もがき疲れか。


やるべきことを淡々とやる。
そうすれば、光が見えてくるのではないか。
そう信じて、淡々とやる。


確定申告も期日前には提出した。
仕事場もきれいにしている。
日々の業務記録も溜め込んだりせずに、毎日こきこきと書いている。
仕事そのものも昨日より今日、ちょっとずつ進歩している自負はある。


それでも、心は満たされない。
もっともっとと渇望してしまう。


特別な才能がないことは分かっているし、努力すべきことも分かっている。
補うに足る努力が不足していることも承知している。


それでも、この乾いた感じ、ギリギリと胸がきしむ感覚はちょっとバランスが悪いんじゃないのかなー、神様仏様よ。




今月読んだ本

「泥酔懺悔」  朝倉かすみ瀧波ユカリ平松洋子室井滋、中島たい子 著

泥酔懺悔

泥酔懺悔

今月飲んだお酒

「金寶」 穏(おだやか)特別純米
「喜楽長」 辛口 純米吟醸

月末日記 vol.1

1月はもがいた。


仕事のスタイルを再構築してわたしの中に足りない動的な要素を取り入れようとしているのだが、捨てるべきものをなかなか捨てられず苦しんでいる。
もっと積極的に何かを選べばそれを選ぶためには捨てなければならないという局面がもっと鮮やかに浮かんでくるのだろう。


仕事ばかりしていることにふっと倦むことがある。
胸の真ん中にずどーんと悲しみがぶつかってきて押しつぶされそうになる時がある。
自分の「なにかどこか足りない感じ」が不甲斐なくてどうしようもなくなる。
いや、足りないのではなく余計なものを捨てきれず抱えているから苦しいのか。


どっちだろう?
どっちもだろうか。


今月読んだ本

「ここは退屈迎えに来て」 山内マリコ
「奇貨」 松浦理英子

ここは退屈迎えに来て

ここは退屈迎えに来て

奇貨

奇貨

今月飲んだお酒

愛宕の松」 和屋オリジナル 純米大吟醸酒
「喜楽長」  新酒活性にごり酒
「作」 Prototype-G

インポ体験3

このところ言葉に出来ない感情が降り積もり、一日の終わりに心がすとんと鎮まらない。
春先の心の騒々しさも相まって睡眠障害を起こし始めた。*1
わたしは基本的に寝つきはよくて長時間の睡眠を必要とするタイプなんだけれど、今回の睡眠障害はその原因も把握していたし長く続かないことも分かっているから、あまり気に留めていなかった。

ま、どうしても眠りたくなったらオナニーでもすれば眠れるさ。
そうタカをくくっていたのである。

ところが、勃たないし濡れないしで、身体が反応しない。
「これは、いつぞやのインポ体験にそっくりだなー」そう思い、過去のエントリを読み返してみた。

状況は違えど、今回も抑うつ状態からくる随伴症状のようだ。
そもそも不眠自体が抑うつ状態から生じているんだろう。

モットーがなにせ「やりたいことだけ 自分のことだけ 今のことだけ」なもので、日常生活において「抑える」という要素がとても少ない。
ふだんやりつけない「抑制」なんてことをし始めたものだから、身体のほうが「おい、ちょっといつもと違うじゃねぇか・・・」って言い出したんじゃないか。

ただし、前回と違って、今回はもう少し感情を抑制した状態を持続したいと思っている。
別に今現在セックスパートナーがいるわけじゃないし、不眠さえ乗り切れればインポであってもまったく構わない。

そろそろ臨機応変に感情を抑制できるオトナになりたい。
禁欲的に目標に向かって努力するとか、そういうことをしたいのだ。
もうちょっと踏ん張ってみよう。
しっかし、自分の身体の正直さには呆れてしまったぜ。

過去の記事
2009/3/3 インポ体験
2009/6/27 インポ体験2

*1:前回のインポも春先で今と同じような時期だったから季節的な要因もありそう。

日本酒愛好会発足!

昨年の5月におじゃまさせていただいたsai_yuさんカップル宅を再び訪問。
季節柄、日本酒を傾けましょうということに。

用意されていたのは新潟は佐渡の銘酒『真野鶴』の無濾過中取り緑紋生、純米吟醸生原酒(さすが!)。
そして、「これ飲んどきゃ大丈夫!」と某koさんが太鼓判を押したという『酒豪伝説』。



真野鶴と酒豪伝説の2ショット


それをひとりずつガラスのお銚子にサーブしてくださって、手酌でいただきました。
酒飲みは手酌で自分のペースで飲みたいんです。



手酌のイメージからは程遠いオシャレなしつらえ


酒飲みにはたまらない「あて」もたくさん!
へしことかこのわた的なもの(確かこのわたではなかった)とか。
そしてネギをシンプルに焼いたのから浅漬まで、長く晩酌を楽しめるものばかりでした。



これまた日本酒に合う肴ばかり

日本酒での酔いって他のお酒とは違う。
空気がしっとりするなあと実感。
レンアイやセックスの話をしつつも、それが人生そのものの話へと繋がっていって、なぜか三人で涙ぐんだりした。

今度、訪問するときには、大切な人と一緒に来たいな。
呼ばれなくても行っちゃうぞ。

理想のレンアイ

以前に、自分にはポリガミー志向の可能性があるのではないか?といったことを書いた(下記のリンクを参照ください)のだが、その後考えを進めていくうちに、むしろ逆なのではないかと思うようになった。

モノガミックな枠組みが窮屈なのではなく、枠組みが恋人の行動を規定しているのであって、枠組みがなければ恋人がわたしを選択し続けるとは限らないじゃないか、という疑念の生まれる余地があることへの不安なのだ。

多くの人は、おつき合いという関係性に、(人によって内容に差はあっても)お互いが排他的な性愛関係にあるという暗黙の了解事項に、守られているような安心感を感じるのだろうし、実際に今ある関係を壊してまで他の人と恋愛したり、セックスしたりするリスクは負いたくないといわゆる浮気心のストッパーになったりもするのだろう。

しかし、わたしの場合は逆なのだ。
行動を縛るような枠組みなどなくても、瞬間瞬間で常にわたしを選択し続けてほしい、そう願わずにいられない。
わたし自身も、相手を常に欲望し続けていたい。
そんな、非現実的な望みを捨てきれないでいるのだ。

だから、もしも恋人に浮気をされてしまったら「わたしを相手に選んでもらえなかった」のは悲しい。
しかし、そのことで恋人を責める気には多分なれないだろう。そして、別れる理由にはつながらないであろう。
そこではなくて「嘘をつかれた」ということが、今後の信頼関係を揺らがせ、別れを考える理由になるだろう。
たとえ、それがわたしを傷つけまいという理由からつかれた嘘であっても。

「つきあっている」という枠組みなどに縛られず、「あなたがしたいようになーんでもしていいし、どこに行ったっていいのよ。」という状態に置かれてなお、大好きな人にはわたしを選び続けてほしい。


それって・・・

究極のモノガミスト指向じゃん!!

以前に書いたエントリ

ポリガミー指向」の可能性
http://d.hatena.ne.jp/fridas/20070314/1190690968
ポリガミー指向」の可能性 その2
http://d.hatena.ne.jp/fridas/20070316/1190691039

悲しい

8月も今日で終わりだ。夏が終わってしまうことが悲しいのだろうか。
このところ(1週間ぐらい)やたら悲しい。今朝自分の洗濯物を畳んでいて、ふとクサノさんの洗濯物をよく畳んだなあなんて思い出し、無意味に悲しくなった。生活のひとコマを思い出すのは、喪失感が大きくてかなわないよ。
思いが残っているわけではなくて、愛情を注ぐ対象を失ってしまった欠落した感覚、痛みがしんどいのだ。
だからといって、新しい恋でもしようか、なんて気分にはなれず。
どうしたものか。

未練

8月。やっと夏だなあと思う。
毎日淡々と仕事をする毎日を過ごしている。
恋が終わったばかりの頃は少し仕事に逃げていたかもしれない。
今は違う。
月曜から土曜まで働き、休日には仕事関連の勉強会へ出かけ、仕事一色と言ってよい生活だけれど楽しい。
それを心から望んでやれているからストレスはないし、ずーっとこの穏やかな生活が続けばいいなと願う。

そして「もう恋愛はいいかもしれない」そう呟いてみる。

どう考えたって、今のままがよい。
そうなんだけれど・・・何度も「もう恋愛はいいなあ」と言葉にしてしまうところをみると、わたしはまだまだ恋愛することを自分の人生から捨て去ってしまえない、未練があるようだ。
毎日、仕事が充実していて楽しい。仕事関係の人や友人との人間関係も淡くはあるがうまくいっている(と思う)。
だけれど、どこか満たされない思いを抱えて、夜更けの月を見上げたりしてしまうのだ。淋しい。好きな人と時間や体験を共有したいなあ。
この思いに蓋をせずに、しんどいけれど生きていくしかないなあ。