『彷徨う花たち Drifting Flowers』 (2008 台湾)

先々週の日曜日、彼女とL&G映画祭@新宿バルト9へ出掛けた。

この日観たのは台湾の『彷徨う花たち』。

3話構成で、それぞれの物語が時間軸を越えて交差する。

1話目は8歳の女の子の淡い恋心のお話。歳の離れた姉の恋人(ボーイッシュな女子)に恋をするんだけれど、子供ゆえの残酷さが3人の関係を徐々に変えてゆく。
ラスト、高校生ぐらいに成長し姉とその恋人に再会するんだけれど、成長した彼女は二人とどんな会話をするのだろう。そんな余韻を残すエンディングでした。

2話目は偽装結婚したゲイとレズビアンの年老いてから再会するお話。かたやアルツハイマー、かたやHIVポジティブという状況で再会し、どうやら*1今後の生活を共にして行こうというストーリー。
予告編を観たときに、どうしてこんなある意味救いのない話を撮ろうと思ったのか、それが疑問だった。実際に本編を観ても正直疑問は解消されなかったです。
想像できうる限り最悪なシチュエーションだけれど、それでも人と人は繋がれるし助け合えるということを言いたかったのかなあ。
どこかおかしみのある演出が重くなりすぎるのを回避していていたのはよかったかな。

3話目は1話目に登場したボーイッシュ女子の高校時代のお話。
この女の子、アジアン*2のすみださんに似ているなあと思って観ていたんだけれど、3話目はけっこうかわいかったです。
特に高校の制服らしきベージュのシャツがよく似合ってた。10代ならではの青い悩みや経験がさわやかに描かれていて、3話の中ではこれが一番好き。

どの話にも「あなたは男?女?」という台詞が入るのだけれど、主題は「我は何者か?」を問う際に付きまとうジェンダーセクシュアリティの問題なのかな。
アイデンティティーを問うのに何も性別ばかりではないはずなのに、「どんな能力があるか?」とか「何が好きか?」とか、「どんな性格か?」とか実際につき合ってみないと分からない事柄より、パッと見で判断できる事柄(背が高いとか、ハゲとか、デブとか)の中でも性別というのは大きいんだよな。
そして、みんなそれに囚われていることに気がついていない。

それから、3話とも違った形で家族が出てくる。
家族の描かれ方としては、必ずしも家族的なつながり(血縁があるもの同士が生活を共にすること)が最上の選択ではない、かといって完全に逃れることは難しい。そして、逃れることがいいとも、留まることがいいとも結論めいたことは言わない。という感じ。
映画の登場人物たちはそれぞれの局面でどうすべきか選択を迫られ、何かを選び取る。

その様を観て「アンタも自身の問題として考えてみてちょーだい」ということか。

途中字幕が出なくなったりして*3、肝心のところが分からなかったりもしたけれど、彼女と一緒ならそんなアクシデントも楽しかったぜ。



余談

彼女、チチが好きということなので、久しぶりにチチ強調目でいこうと思って、レモンパッド*4を装着したら、長いこと使っていなかったので劣化していたらしく、破裂してしまい、ブラもパンツもキャミソールも、シリコン液みたいなのでべたべたに。

もう一度シャワーを浴びなおし、偽装なしの胸で出掛けた。

スカートなんて年に1回ぐらいしか履かないのだけれど、祭りだしデートだし、この日は気分が上がっていたので履いてみたりした。

彼女、2、3歩下がって

「あれ?いつもと感じが違う?」 「かわいい。」

と言ってくれたので、よかったよ。

*1:途中字幕が出なくなったので、そのへん不確か。

*2:女子の漫才コンビ。相方の馬場園さんの滑舌の良さと、すみださんの自虐ネタが売り。

*3:なんでも、当初送られてきたVをもとに字幕を作成したのだけれど、実際に上映するフィルムがなんと編集が違ってたのだそう!

*4:ブラの中に忍ばせてチチの大きさを偽装するグッズ。つわものは2枚3枚と重ねづけしたりする。