東京国際L&G映画祭2007 感想その1

14日(土)21:00〜上映の「TATTOO -刺青-」を見てきました。

ざっくりあらすじを申しますと

刺青の店を営んでいる竹子と、刺青を彫って欲しいと店にやってきたネットアイドル小緑の恋物語を軸に、刺青、ネット上の仮想アイドル稼業(その内実は性風俗業と紙一重だ)など、現代の若者を惹きつけている文化・風俗を織り込んで、「なぜ、若者がそういう世界に惹かれていくのか?」を問う


って感じでしょうか(あくまで私的解釈)。

見終わってすぐ思ったこと。

「この映画、別に女同士じゃなくてもよかったんじゃない?」

竹子が高校生の頃。「行かないで!」と泣く弟を振り切って、恋する彼女に会いに行った夜に大地震が起きる。地震と父が逃げ遅れ亡くなったショックで幼い弟は解離性記憶障害になってしまうが、病気になった原因は(弟のそばにいなかった)自分にあると責任を感じている。

「自分のせい」の中身が「家族を捨て、恋人のもとへ走った」ということなのか、それとも「恋の中身が女性同士であった」からなのか、その両方だからなのか、はっきりしない。

きっと異性愛だったら何も引っかからないところなんだろうけれど、竹子の腕に彫られた彼岸花が、「地獄への道行き、不吉さの象徴」とされているように、女性同士の愛がまるで不幸を呼び込むような印象を観客は受けてしまうのではないか?監督にそんな意図があるのか?と訝しんでしまった。

まあ、結末が希望のあるものだったので、少なくとも「女性同士の恋愛=不幸」という意図はなかったと分かるのだけれど、結末を見るまではちょっと不安だったよ。

見終わってから、本当に女同士である必然性がないのか?について考えた。

答えは「否」。
このストーリーが(特に竹子の心に大きく影を落とすことになる大地震の夜、恋人に会いに行く場面が)成立するには、竹子がレズビアンである必然性があると私は思う。

読み解く道具として採用したのは「『受け』『攻め』パラダイム*1(友人ぽーさんに視点を与えられた)」。

弟を大切にしてきた竹子が、泣いてすがる弟を振り払ってまで、恋しい彼女に会い行くには彼女が女であり、レズビアンであり、そして「ヘタレな攻め」である必要がある。

ヘタレな攻め」というのは自分から行動を起こさない限り、コトが起きないと過信している節がある。自分に自信がなかったり経験が少なかったりすれば、「何か起きるかも・・・」と期待はしても「まさかね・・・」と高をくくっている。

だからこそ、「お姉ちゃんは勉強しに行くの!」と強弁できたのだ。

もし、竹子が男に会いに行くとしたら・・・
それはありえない。夜中に男に会いに行くということは「ヤリに行く」ということであり、「勉強しに行く」と自分に言い聞かせることは不可能だ。そして竹子は、幼い弟をおいて「ヤリに行く」女ではない。

もし、竹子が男で、相手が女だったら・・・
まず、弟は泣いてすがったりしないのではないか?一人じゃないのだ、家には父親もいるのだ。
母親に出て行かれて以来、母親の姿を竹子に見ていたからこそ、泣いてすがったのではないか?そして竹子が竹男だったとして、女に会いに(ヤリに)行くだろうか?私は行かないと思う。

そんな愚にもつかない妄想をひとしきりして納得した私でした。

以上を踏まえて、この映画もう一回見たいな。どっかで配給してくれるかな。

なんつってもこの映画の魅力は配役の妙。
主演の二人もすっごいカワイイしキレイなんだけれども、ほかの俳優さんたちもよかった。
ただ、カワイイ、キレイというだけじゃなく、役のキャラクターにそれぞれの俳優の持ち味がはまってた。

竹子役の梁洛施(イザベラ・リョン)は、88年生れのなんとまだ19歳!若いね!映画では26、7歳の設定だったから、てっきりそのぐらいかと思って見てました(ちなみに小緑役の楊丞琳(レイニー・ヤン)は84年生まれだそうです)。
高校時代の回想シーンは、すごく切なく美しかったので、欲を言えば、撮影の順序を最後に回して、本物のショートカットにしていただきたかったです。髪のきれいな女優さんですから無理だったんでしょうが、ショートカットすんごい似合う女優さんだと思うんだけどな。きっと萌え指数が激アップしただろうに。

*1:私自身「ヘタレな攻め」自覚だったのですが、「受け」かもと思う今日この頃…