クルマの広告

最近の自動車の広告(テレビやラジオのCM、電車の中吊り)を見ていると、ジェンダーを強調したものが眼や耳につく。


「ママで妻で女です」とか
「かっこいい車が好きです。男ですから」とか


だいたいそういう車は、まるで「女の子用のおもちゃはコチラ、男の子用のおもちゃはコチラ」というぐらい、幼稚な女っぽさ、男っぽさの演出がされていて、まったく趣味じゃないんだけれど、これだけ広告が打たれるというのは、マーケットがあると見込んでのことだから、こういう広告を見てぐぐっと来ちゃう人が多数派なんだろう。

普段は、仕事人として、家庭人(妻・夫、母・父)としての着ぐるみをかぶり、役割を懸命に演じているけれども、車の中というパーソナルな空間においては「素の自分に戻りたい」そして「素の自分」こそが「女である自分」や「男である自分」ということか。

一部の人たちにとっては、女や男という着ぐるみがあまりにもぴったりと皮膚に密着していて、それが着ぐるみであることすら意識に上らず、素の自分=女・男と等号で結べてしまえるということか。

深読みかもしれないけどさ。

ともかくだ、わたしにとってはこれらの広告は不快です。

ジェンダーの押し付けとかなんとか以前に、センスのなさや、鈍感さ、雑さ、思考停止加減が、「そうなっちゃいました?*1」と聞き返したくなるような脱力感を生むんだよね。

*1:ハイキング・ウォーキングのコントに出てくる決め台詞