女の子になりたい

かつて、わたしは女の子になりたかった*1
世間一般が認める、いかにもな女の子に*2

それは、女の子っぽい雰囲気やアイテムが好きだからとかでは全然なくて。
自分が女なんだと自覚できた4、5歳の時点で「女として優等でありたい」と思ったのだと思う。

人間としてうんぬん以前に「女として生まれたからには、かわいいとかキレイとか思われたい。そう思われない女は劣等である」と感じていたんだろう。

我ながら、なんていやらしい根性してたんだろうと思う。

しかしながら、わたしは「いかにもかわいらしい女の子」ではなかった。
女の子らしい女の子になってみたかったけれど、現実の自分は違っていた。

小学生のころは、背が高くショートカットで、身に着ける洋服も黒や茶や紺色ばかりで*3、ズボンをはいていると、よく男の子に間違われた。

「女の子になりたい」願望は、私の深いところでくすぶり続け、「そんな格好しても、どうせ似合わないし・・・」と実際に行動に移すことはなかった。


世間様から評価されたいといういやらしい欲望*4と格闘することに、けっこう時間を費やしてしまい、「自分はどうありたいか?何をしたいのか?何が好きで何が嫌いか?」という問題意識が希薄なまま青年期に突入し、からっぽな自分に呆然とした。

その後、「女として優等でありたい」願望の呪縛は解け*5、「自分はどうありたいか」という問いの答え探しを、何某かのカテゴリーへ当てはめてみては生じた違和感のありかを考えるという行為を繰り返すことで、少しずつ居心地のよい近似値を得て・・・


で、もうすぐ四十になるんすけどね。


わたしは、自分が何者か?という問い(性自認も含め)にも、誰とどんな関係を作りたいか?という問いにも(性的指向も、仕事関係も、友人関係も含めて)、明確な答えは出せずにいる。


ただ・・・


既存のカテゴリーに帰属し安心を得る代わりに思考停止してしまうことへの抵抗感は強くあって、不安定な揺らぎの中に身をおいても耐えられるだけの靭(しなやか)さは持っていたいと思うし、それが出来るのがオトナなんじゃないかとも思うのさ。


こちらのエントリーに刺激されて書いてみました。

*1:子供時代、十分ボーイッシュな私だったが、男になりたいと思ったことも、自分が男なんじゃないかと思ったこともない。子供の頃、男は野蛮で子供っぽくてアホな、女より下等な生き物だと思ってた。

*2:名前もアケミとかミキとか、そんな女っぽい名前だったらよかったのにと思っていた。私の名前はまったく色気のない名前で、テレビドラマに出てくると、たいがい幸薄い系でブスで貧乏か早死にする。それも嫌だった。

*3:母親が「子供は華美な装いをすると下品になる」という考えの人だったので、いつもまるで制服のような地味な色のカチっとしたデザインの服ばかり着させられた。ちなみに、妹は赤やピンクの服を着たがり、髪も伸ばしたがり、リボンを結いたがり、母はその通りにさせていたけれど。

*4:そんな欲望へ私を向かわせた動機のひとつは、やりたいこと自体が後ろ暗かったからだろう。物心ついたときから私はエロかったし、セックスしたかった。そんな自分をどうフェイクして生きていくかが子供時代の最重要課題だった。

*5:歳を取ることが、私をかなり楽にしてくれた。乗り越えたとか、気づきを得たとかではない。