大切な人は誰ですか?

昨日、友人と話していたら元カノジョの話題がちらっと出た。
元カノジョとは、連絡を取り合うこともなく関係が切れていて、偶然にL&G映画祭のホワイエで見かけて私のほうから一方的に二言ぐらい声を掛けたのが最後。

そのときの様子なんかからしても元気でやっているんだろうとてっきり思っていたんだけれど、どうやらそうでもないようで少し驚いた。

もうわたしにできることも、掛ける言葉も何も残っていないのだけれども。

友人はわたしに元カノジョの気持ちを伝えてくれようとして「(付き合っていた当時)友達の中には、それは彼女(わたしのこと)が悪いよ。そんな彼女とは別れた方がいい」って言う人も多かったけれど、あなた(その友人のこと)の「レンアイにどっちだけが悪いってことはない。どっちもどっちだと思うよ」という言葉が、一番うなずけたと元カノジョが言っていたと教えてくれた。

友達にレンアイ相談をして、彼女のことを悪く言われると、文句を言いつつも「そんな悪い人じゃないよ」とかばいたくなったりするけれど、元カノジョもそんな感じだっただろうか。

そんな話を聞きつつ、レンアイしてケンカして友人に相談すると、「そんな酷いオンナ、別れなさいよ!」的な展開になりがちで、そうなってしまうと、カノジョだけではなく相談されたカノジョの友人まるごと、ごっそり関係が切れてしまったりするなあ、なんて考えてた。

そうだろうとも。
多分、わたし相当にひどいオンナってことになっているであろうと想像できた。
あ、すんごいひどいことしたって意味じゃないですよ。
すれ違い度がはんぱなかったんですよ。
お互い、求めるもの、価値観、いろいろなことが違いすぎて、相手の事情を慮る想像力が、ふたりともガス欠状態で。

カノジョとのほうが親しいAさんやBさんやCさんにも、ひどいオンナだと思われているのであろうことを想像してしまい、仕方ないこととはいえ、夕べはちょっと凹みました。

最近になり、そういうしがらみはあまり気にせずコンタクトを取ってみよう!なんて思いかけていたところだったので、どうしたものか…と思考は停止。

レンアイ相談って無意識に自分にとって都合の悪いことはショートカットしがちだし、文句言いつつもカノジョの側のプライバシーもあるからなんて考えて、問題の核心に近いカノジョの事情を隠したりするので、片方だけの話を聞いていると事実とかなり食い違うことがあります。

そこんところ、うまく乗り越えて、人と繋がれないものだろうか。
それはきれいごとでしょうか?

可能性をバシっと閉じ切ってしまうのではなく広がる余地を残しつつ、自分にとって大切な人、そして親しみを分け合える人とコミットメントする方法を考えています。

なにかと狭い、狭すぎるレズビアン・コミュニティ。
カノジョと別れるたんびに友人とも切れてたんじゃ、そのうち身動きが取れなくなります。
元カノジョとばったり出くわすのが嫌でコミュニティに顔出しにくくなるなんてよくある話。

タフになるしかないんすかねー。

※先週、以前におつき合いしていた人がわたしの後におつき合いされていた方がされているお店で食事してきました。意外なことにわたしのことを覚えていてくれて「○○ちゃん?」って声を掛けてくださいました。ほんのり嬉しかったです。こういう再会は心が温まります。