愛ある一文

昨日、私淑しているY先生からいただいたメール、用件の後に愛ある一文が添えられていた。

いや、私が勝手に愛を感じ取っただけなんだけど。

私は先生の弟子でもなんでもなく、数百人いる先生の講座の一参加者に過ぎない。
「気にかけていてくださったのだ」と嬉しかった。

具体的な文章は書けないけれど、ほんの少しは存在を認めてくださっていて、9割ぐらいは「しっかり鍛錬して、同じ土俵で話ができるようにおなりなさい」という意味だろうと受け取った。

愛を感じたということは、その感情に矛盾しない行動をとらなければならない。

自問自答してみる。

「私はちゃんと鍛錬しているか?学術を積んでいるか?」

・・・・・・

「全然足りてねーよ!」

愛を受け、応えるというのは厳しい行為だわ・・・

誰かの言動に対し私が勝手に愛を受け取り、私の言動に対し誰かが勝手に愛を受け取る。
そのやり取りが、特定の人としだいに濃密になっていき、ある人とは友人に、ある人とは恋人になる。

そんな風に考える私は面倒くさい人間なので、たくさんの人とは親密になれない。
この面倒くささに付き合ってくれる友人に感謝だよ、ほんと。