純喫茶「ビアン」

オバサン*1なので、いちいち細かいことが気になる今日この頃。

例えば、ネットなどで見られるこんな表現。

「真性ビアンのみ。仮性の方はごめんなさい」  「先天性のビアンです」 などなど

遠い昔、「天然と養殖」という表現をしていた人もいたな(笑)。

どうやら、レズビアンレズビアンでも、そのディープさ加減?本物かレプリカか?が気になる人は気になるらしく、線引きしているらしいのだ。

しかし、100%のレズビアンなんて存在し得ないと私は思っている。
なぜなら、世間(メディアや教育など)は「女に欲情せよ」というメッセージを、これでもかこれでもかと発し続けているからだ。

その影響を、まったく受けずに成長する事は不可能だ。

実際、私も「女に欲情する自分」に幼い頃は悩んだし(後で紹介する本の著者、藤本氏も悩んだと述べている。ヘテロ女性でも悩むのですよ!)、後にメディアの影響もあるなと気がついて納得。そのせいでクローゼットから出るのが遅れてしまったという皮肉な結果にもなったのだが。

同じ時代、環境に生まれ育っても、ヘテロな人もいれば、レズビアンな人もいる。ゲイな人もいるし、トランスしたい人もいる。

それは他の嗜好性(好きな色、食べ物の好みなど)が多様であることと、あまり変わらないのではないか。

それでは、なぜ人は、レズ指数(以下LQ)が気になるのか?
仮に、LQ高い人=生まれながらのレズ(だと本人は自覚)、LQ低い人=ラディカル・レズ、元ノンケで口説かれてレズ・・・と一応想定して話を進めます。

私の妄想する仮説
レズビアンであることを受け入れるのに、すごく苦しんだので、LQの低い人は悩みも少なかった=LQ低い人ズルイ説
・レズなんて言っておいてさ、男に走ったりするんじゃないのー?=LQ低い人不信説
フェミニズム的な思想からレズビアンとして生きることを選択した、いわゆるラディカル・レズビアンに対し、女に欲情していないのにレズって言われても・・・=LQ低い人不自然説

※今回は「主婦レズ」さん、結婚しているレズさんについてはあえて触れておりません。
※それから、トランス指向があるタチさんも、問題は性的指向ではなく性自認なので、今回は触れておりません。

恋人としてであれ、友人としてであれ、同じ悩みを抱き、生きていく上での乗り越えねばならない課題を抱えている者同士としての関係性が、壊れてしまうのが怖いのかもしれない。

そこに、確かな何か(それがLQの高さ)が欲しいのかもしれない。

私はセクシュアリティの可塑性はバカにできないと経験から感じている。
以前に、一番近い位置で仕事をする事になった上司にカムアウトした後、しょっちゅう飲みにいくうち仲良くなってしまい、一瞬だけだったけれど恋が芽生えたことがある。
一線を越えてしまったら、急に引かれてしまって恋は非常に後味の悪い終わり方をしたのだけれど(その後もずーっと同じ職場でかなりきつかった)。
後で聞いたら「自分の中にそんな(女に惹かれるような)要素がもともとあったんだと思います。」と上司は言ってました。

「快楽電流―女の、欲望の、かたち」の中で、著者のひとりである藤本 由香里 氏は、「あなたはなぜヘテロなんですか?」ともし訊かれたらと考えたとき、浮かんだ答えは「世間体のためです」というものだったと記している(p212−213)。

この部分を読んだとき、私は思わず膝を打ってしまった。

その人が今現在、ヘテロである理由、レズビアンである理由なんて、生れもった固有の要素の影響は、思っているほどは大きくなくて(まったくないとは思わないけれど)、意外とそんなもんなんじゃないでしょうか。

快楽電流―女の、欲望の、かたち

快楽電流―女の、欲望の、かたち

※ちなみに純喫茶とは、酒類を扱わない、純粋な喫茶店のこと。酒類を扱い、女給(ホステス)による接客を伴う「特殊喫茶」に対しての呼称、だそうです。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

*1:この時期より、オバアイデンティティは薄まりました。実年齢とは関係なく濃くなったり薄くなったりします。